西城秀樹さん死去

 歌手の西城秀樹(本名:木本龍雄)さんが16日の午後11時53分に亡くなりました。死因は急性心不全、63歳でした。

 西城さんは広島市出身。高校時代、ジャズ喫茶でバンド演奏をしていたときにスカウトされ上京。1972年に「恋する季節」でデビューしました。翌年「情熱の嵐」がヒット、オリコン週間チャートでベスト10入り、当時野口五郎と郷ひろみの3人で「新御三家」と呼ばれるトップアイドルとなりました。

 その後、「愛の十字架」「ちぎれた愛」「激しい恋」「傷だらけのローラ」「YOUNG MAN」等次々ヒットを連発。テレビドラマ「寺内貫太郎一家」にレギュラー出演、映画「愛と誠」では主演を務め、俳優としても活躍しました。

 ハスキーな声を活かし、全身で歌うスタイルは「絶唱型」と呼ばれました。1981年には香港でテレビ出演、コンサートも行い大成功。日本人歌手アジア進出の先駆けとなりました。

 しかし、2003年に韓国で脳梗塞を発症。朝に自覚症状があったにもかかわらず、ディナーショーをやり通して帰国後に入院。言葉を正確に発音できない構音障害が残りました。懸命なリハビリを続けていた西城さんでしたが、2011年に脳梗塞が再発、今度は右半身が麻痺しました。

髪は大事だと実感した出来事

 38才、専業主婦です。最初に頭皮の脂っぽさと抜け毛が気になりだしたのは、23才位の頃です。同時に気になり出しました。

 就職したての頃、女性の上司に指摘されました。頭のてっぺんが薄くなってきてるんじゃない?と言われました。普通なら他人に言えないようなことを、ずけずけ言ってくる方でした。

 自分でも抜け毛がひどいなあとかは感じていましたが、改善しようとかは何も考えていななかったのですが、他人に言われ、初めて何とかしなきゃと思いました。確かに鏡で見てみると、てっぺんが薄くなってきていて、恥ずかしくなってきました。

 従兄の奥さんがヘアメイクの仕事をしていたので、髪は詳しいだろうと、電話で相談してみました。「まだ若いし、就職したてで、環境が変わったことや、ストレスでそうなっているのかもしれないから、様子を見たら?」的なことを言われました。

 すぐに改善策を取り入れたかった私は自分で動くしかないと思い、市販のスカルプエッセンス(育毛剤)と馬の毛でできた頭皮をたたくブラシを購入しました。育毛剤もかなりお値段のするものでしたし、頭皮をたたくブラシもゴワゴワしてたたくと痛いくらいで、これらのおかげで血行がよくなったのか、脂っぽさも減り、抜け毛も減っていきました。

 あとは、いつも通っている美容院の美容師さんにも相談してみました。薄くなってきているのはてっぺんなので、そこを目立たなくするブローの仕方を教わり、自分で実践するのは難しかったですが、これでだいぶ人目を気にすることなく、過ごせるようになりました。

 月日は流れ、もうこんなことを悩んでいたなんて忘れた頃、出産をして、産後の抜け毛にはびっくりでした。でもこの頃は、母乳のために、食事に気を使って、過ごしていたせいか、抜け毛もすぐに落ち着き、また薄くなってるんじゃないかと心配でしたが、大丈夫でした。思い返してみると社会人なりたてで、1人暮らしで食事が適当だったから、もしかしたら、あの頃は抜け毛がひどかったんじゃないかなあとも感じています。食事は大事だと改めて実感しました。

 今はコストはかかりますが、美容院で2ヶ月に1回、髪質改善トリートメントを受けています。これで脂や汚れがかなり取れているそうで、そのせいか、抜け毛も脂っぽさも感じずに過ごせています。あとはバランスの取れた食事を心がけています。若い頃の経験で、髪は大事だと思っているので、このままキレイな頭皮、髪質のまま年老いていけたらいいなあと思います。

 抜け毛 頭皮

日産の検査不正、人手不足が背景に

 日産自動車の工場で無資格者が完成車の検査を行い、その事実が長年隠蔽されていたことについて、同社が17日に国土交通省へ最終報告書を提出しました。

 報告書によると、長年にわたって不正が横行していた背景として、生産拡大と団塊世代の退職で人手が不足していたにもかかわらず経営陣がその問題を認識していなかったこと。それどころか、本社からはコスト削減のために人員を減らすように求められていたと言う事です。

 経営陣が現場の状況を全く把握していなかった、つまり現場を軽視していた。そして、丸投げされた現場が不正に手を染めるようになり、それが常態化していった、と言う事のようです。特にアベノミクスで円安が進み、生産が国外から国内に戻り、生産台数が増加していたため人手不足が深刻化、不正は全6工場の内5工場で行われるほどでした。

 また、資格を認定する社内試験でも、事前に試験内容を漏らす等の不正が行われていた事も判明。日産自動車における完成検査の制度自体が機能不全を起こしていた事が伺えます。